8月6日

広島原爆の日。甲子園 高校野球全国大会開会式。
こどものころから変わらない 夏を感じる日です。
平和の大切さと今、日本が平和であることへの感謝を改めて感じます。


「厳しい安全保障環境という『現実』を
 核兵器のない世界という『理想』に
 結びつける努力を行う」(岸田首相の式典挨拶よより)


とても難しい課題ですね。私は、なんの努力もしていません。
 私自身の中でも『理想』と『現実』です。


この間、NHKの番組に郷ひろみさんが出ていて
厳しいお母さんに「どこに出しても恥ずかしくないように」と
厳しく育てられたというエピソードを話されていました。
忘れていた言葉「どこに出してても恥ずかしくないように」は、
厳しかった私の母にもよく言われました。
「ひとりでも生きて行けるように」とか
理想どおりの人に育てようと厳しかった母、
それに答えたいと思っていたけど できなくて泣いていた私、
 私はそんなに立派でもいい子でもなくて
理想どおりに生きようとすればするほど葛藤でした。
生まれ持った父似の遺伝子があるから だらしなくって。
母があんなに潔癖で真面目な人でなければ 今の私はいないでしょう。
真面目に生きることが良い事と育ったのに だんなさまには、
「まじめすぎる」と言われ・・・何が正解なのでしょうね。


こどものころに、たぶんみんな「喧嘩両成敗」とか
「ごめんなさい」を言うことの大切さは、教えてもらったと思います。
自分は悪くない!間違ってない!と思う気持があっても「喧嘩両成敗」
互いに「ごめんなさい」が言えたら『理想』に近づくのかもしれないと思います。
「ごめんなさい」と言われても「許さない!」となると やっぱり
喧嘩になるから 必ずしも「ごめんなさい」が解決にならないのが
大人の世界なのかな。


塾のお仕事で 私が小学2年生の生徒さんに
「ごめんね、先生が間違えてた、ほんとごめん」と言ったときも
また、小学6年生の男の子に「ごめんね、気づかなくて」と言ったときも
ふたりとも「いや、僕も悪かってん」「いいです。ぜんぜん大丈夫」と
言ってくれました。 そんな こともたちが大好きです。
                     (It takes two to tango.)