見ず知らずなのに

このコニュニティーにお邪魔(?)して 数日だけれど
ネット上のコミュニティーへの参加歴は、永い。
「自分探しの旅」をしていた。


精神的に八方塞だった頃、躁鬱病になった姉に対して
クールな判断ばかりする主人・・・痛いくらい悲しくて
まるで自分の将来を見るような気になって
思春期の男の子のように部屋で暴れた。目につくものを壊した。
そんな状態になった私を見ても 主人は、馬鹿な奴を見るようにスルーして
それがまた、悲しみの上塗りになって・・・自分が無価値のようにおもえて
堂々巡り・・・泣いても泣いても解消しようもない。


で・・・どうにでもなれ!と
飛び込んだのが当時のヤフーチャット。(情熱で走れない私がですよ^^;)
石橋を叩いて叩き壊して渡れなくしてしまうような私が 
震える指で「ポチッ」とクリックした二十年近く前の9月の早朝のこと、
はっきり覚えてる(記憶力悪いのに)


今から思えば 街を歩くより危険に遭遇する可能性もあったのに
 私は、そこで救われた。(そうじゃない人もいると思うのでご注意を^^;)
青春時代の歌をギターを弾きながら歌っている人が何人もいた。
こんなところにいたのね^^


私にとって妻でも娘でも嫁でも母でもない 学生だった頃の
ただの〇〇ちゃん(ハンドルネーム)になった^^
良妻賢母でいなきゃいけないと思い込んで生きてきた自分の
ローマの休日的時間になった。
自分を雁字搦めにしていたのは、自分自身だったのね。
そんな時間があったから 今の私を支えてくれている。 
本当に欲しかった時間を過ごせた。しがらみなく過ごせた。
その時間は、愛おしいくらい大切な大切なものになった。
だけど・・・ネットだといっても そこには、赤い血が流れる人がいて
人柄が浮き彫りになるほどに やっぱりそこには感情が生まれて・・・
見ず知らずの人も見ず知らずの人ではなくなる。ただの人でなくなる。
だから 元の生活に 賢そうに生きている自分に戻ってきたのです。
今から思えば・・・40代 ホルモンバランスが崩れていたのか?
60歳にもなれば 本当に「男」のように(?)さっぱり物を考えられる^^
って私だけかも。悲しむことにもエネルギーがいるからね。
老いるという悲しさもあるけれど 老いることで悪くないねと思うこともある。
最期に 笑えたら それがいちばん。 その日まで自分の身は自分で守って
笑えることを毎日みつけて
余力があったら 人のことも考えて・・・それくらいの気持ちで。