会津を愛す(ダジャレのつもり)

福島県、また、地震の被害にあわれて
お見舞い申し上げます。10年前の3月11日、恐ろしい記憶が蘇りますね。
今回の地震があって 私も大好きだった女性とそのご家族の事を思った。


あの頃は、まだ、私の大好きだった女性は、生きておられたのになぁ。
震災では、無事だったのに 病気で他界された。
「私の大好きだった女性」は、20代の頃の仕事の先輩で
結婚して京都から福島へ 移住されていた。
「遊びにおいで~」と言われていたのに、やっぱり行けないままだった。
お葬式に行ったけど、遅すぎだよね。いつも 私はこうなんだ。。


会津・・・あまり興味も関りもなかった場所。


会津を愛おしく(?)思うようになったきっかけのひとつは、彼女の存在。
美しく かっこいい女性で 可愛がってもらったなぁ。
そして、もうひとつは、NHK大河ドラマ「八重の桜」
もともと、綾瀬はるかちゃんが好きで観始めたんだけれど・・・
あのドラマを観て
もっと早くこのドラマを観ていたら 同志社大学に入りたい!と思って
もっと勉強したかも・・って^^;都合のいいこと思ったりもした。
「若いころもっと勉強していれば良かった」とか
「頑張ればできる子だったのに」とかは、できなかったことへの常套句だね^^;


会津・・・縁もゆかりもない場所だけれど 愛おしく感じる。
東北の方々は昔から、忍耐強いんだなぁ(偏見ならごめんなさい)
不平不満を言わずに復興の遅さや風評被害があっても
コツコツと前向きに暮らしておられるのだろうか、と思ったりする。
 がんばれ!東北、がんばれ日本。3月11日、忘れてはいけないね。

雅子さま

皇后陛下 雅子様のご成婚


世の中が華やかな話題に嬉しいニュースとして伝えられていたころ
私は、・・・雅子様 苦しまれるんじゃないかな・・・と案じていた。
雅子様と私とでは、雲泥の差で一緒には、全くならないのだけれど
古風な嫁ぎ先に海外に目を向けている女性が嫁ぎ、言いたいこと、
したいことを制限されることの苦しさを感じられるんじゃないかな・・・と
思っていた。
当時、雅子様は、外交官を目指しておられて、世界で活躍できる才女。
その力を存分に発揮できるのならばいいけれど そうでなければ
雅子様の個性が死んでしまう・・・もったいない・・って悲しく感じていた。
(母に当時、そんな話をしたけれど、母の時代の人からしたら
非国民^^;??だったかも)


雅子様が適合障害になられたという報道に・・・やっぱりと思った。
閉じ込められた白鳥のよう。
雅子様には、ブログを書くとか ヤフーチャットをするとか^^;じゃなくても
心を開放できる場所は、あるのかな。
雅子さまにも、ローマの休日を差し上げたい・・と願ってしまう(勝手な思い込み)



 私の場合は、私自身に選択の自由があって、自分が選んだ道だし、
充分になんでもできて 自由に(気ままに)生きてるわけだけど、
ご結婚後の雅子様に選択肢があるんだろうか?あったんだろうか?


それでも永年、積み重ねてこられた時間で
世の中の変化で 少しは、雅子様らしさを、雅子様の素晴らしい能力を
制限なく発揮できるような時代も来ているんだろうか。
ジェンダーの事で言えば
雅子様のような女性に 日本の指揮をとって頂きたい^^
皇后陛下がオリンピック組織委員長なんて やるじゃん、にっぽん・・って
ならないのかな^^;お馬鹿な私。

見ず知らずなのに

このコニュニティーにお邪魔(?)して 数日だけれど
ネット上のコミュニティーへの参加歴は、永い。
「自分探しの旅」をしていた。


精神的に八方塞だった頃、躁鬱病になった姉に対して
クールな判断ばかりする主人・・・痛いくらい悲しくて
まるで自分の将来を見るような気になって
思春期の男の子のように部屋で暴れた。目につくものを壊した。
そんな状態になった私を見ても 主人は、馬鹿な奴を見るようにスルーして
それがまた、悲しみの上塗りになって・・・自分が無価値のようにおもえて
堂々巡り・・・泣いても泣いても解消しようもない。


で・・・どうにでもなれ!と
飛び込んだのが当時のヤフーチャット。(情熱で走れない私がですよ^^;)
石橋を叩いて叩き壊して渡れなくしてしまうような私が 
震える指で「ポチッ」とクリックした二十年近く前の9月の早朝のこと、
はっきり覚えてる(記憶力悪いのに)


今から思えば 街を歩くより危険に遭遇する可能性もあったのに
 私は、そこで救われた。(そうじゃない人もいると思うのでご注意を^^;)
青春時代の歌をギターを弾きながら歌っている人が何人もいた。
こんなところにいたのね^^


私にとって妻でも娘でも嫁でも母でもない 学生だった頃の
ただの〇〇ちゃん(ハンドルネーム)になった^^
良妻賢母でいなきゃいけないと思い込んで生きてきた自分の
ローマの休日的時間になった。
自分を雁字搦めにしていたのは、自分自身だったのね。
そんな時間があったから 今の私を支えてくれている。 
本当に欲しかった時間を過ごせた。しがらみなく過ごせた。
その時間は、愛おしいくらい大切な大切なものになった。
だけど・・・ネットだといっても そこには、赤い血が流れる人がいて
人柄が浮き彫りになるほどに やっぱりそこには感情が生まれて・・・
見ず知らずの人も見ず知らずの人ではなくなる。ただの人でなくなる。
だから 元の生活に 賢そうに生きている自分に戻ってきたのです。
今から思えば・・・40代 ホルモンバランスが崩れていたのか?
60歳にもなれば 本当に「男」のように(?)さっぱり物を考えられる^^
って私だけかも。悲しむことにもエネルギーがいるからね。
老いるという悲しさもあるけれど 老いることで悪くないねと思うこともある。
最期に 笑えたら それがいちばん。 その日まで自分の身は自分で守って
笑えることを毎日みつけて
余力があったら 人のことも考えて・・・それくらいの気持ちで。