今日は雨

今日は雨~~♪アスファルトを流れる雨を大きな車が轢いて走る♪


南こうせつさんです^^; わかるかな~~わからないだろうなぁ~
って・・・わかる人にだけわかるフレーズです・・あはは


今朝の朝ドラ
老舗芝居茶屋 岡安の一人娘 みつえちゃんに縁談の話が来たのですが、
お女将同士が永年、険悪になってる暖簾分け元(本家?)の福富の一人息子
福助くんと秘密で恋愛中で・・さて・・どうする? のような話でした。


主人には、姉がいました。もう他界しましたけれど。
出勤前、朝食を食べていた主人に聞いてみました。
「お姉さんにも縁談は、あったんですか?」
(姉は、芸術を生業にする男性と恋愛結婚しています)


「あぁ、たくさんあったなぁ。
1回は、縁談相手先が家を訪ねてきて(問い聞き?)、
俺に『お姉さんは、あなたに似てますか?』と聞くから
似てますと答えたら その人、縁談断ってきたんや。失礼な話や」
というお笑いエピソードをゲットできました。


 私は義姉が大好きでした。正直な女性でした。思ったことは、
正直に厳しい事も言う人でしたけれど 悪意がないから好きでした。
お姉さんも私の事を好きと言ってくれて 私の「味方」でした。
だから お姉さんが躁鬱病になって 家族がバラバラになっていく中でも
 私は、お姉さんの「味方」でした。たくさんの手紙ももらったし、
今でも読むと熱い涙がこぼれます。主人との想い出よりも深い想い出が
いくつもあるようにも思います。


姉は恋愛結婚をしたけれど 葛藤の日々で最期まで過ごしていたように思います。
義兄も私に姉との結婚当時の頃からの話を聞かせてくれて 愛していると
言っていました。今も墓参に行くと兄なりの「愛情の品」が供えてあります。
なのにどうして・・姉は、満たされることがなかったのでしょう。
答えは出ないままです。
躁鬱病になってから 調子の良いときに 「あなたがいたから元気になれた」と
言ってくれたことがあります。 これも 私にとっては魔法の言葉です。


姉が他界する一週間くらい前、姉の夢をみました。
会いにいかなきゃ・・と思っていたものの 行かないままでした。
会いに行かなかったこと、お姉さんが呼んでいたのかもしれないと思えて
今でも後悔です。


雨のせいかな・・・しめっぽい。

バレンタインデーになんなんですが

私には「愛」が足りない思うのです。バレンタインデーに書くことかな^^;


情熱的な 愛に生きられたら、れば・・ですが。
人生が2度あってもきっと 私にはできないように思います(悲しい)
主人には聞かせられない、
愛していないなんて・・王様の耳はロバの耳的 告白です^^;


だんなさまのこと 愛してる?と聞かれると返事できないかも、
尊敬(は、)してる・・が正しいかも。
尊敬できないところも沢山あるけれど、尊敬はしてる。


愛してるから一緒にいる・・が願い、理想だけど
残念ながらそういう 感情が湧いてはこない(涙)・・・(笑)
パートナーというかんじかな。戦友?
悲しいことね 女として。(あ・・女の部分はもうあまりないけど)


60歳でしょ・・いまさら 愛だとか考えて涙することは、少ないけれど
若いころは深刻に悩んだ。今だから 夫婦なんてそんなものでしょ?
愛してるからって結婚しても別れる場合もあるしね?なんて
軽口で言えたりする。
同世代のお友達にご主人のこと愛してる?なんて聞いたら失笑されそうだしね。


私の両親は、大恋愛で結婚してる。母は、6歳年上。
父の情熱に押されて結婚してるから 父が母を愛していたことはよく知っている。
大切にされてはなかったけれど 愛されていた(ベタベタと甘えられていた?)
でも、母は、とてもクールだったから 母が父の事を愛していたか聞いてみた。


91歳の母、記憶力は私よりしっかりしている。


「とても愛されていたと つくづく感じるわ」と
即答して しみじみ思い出している様子。


いやいや、愛していたか?と聞いたのよ。。。


「愛していたわよ。じゃなきゃ一緒にいたりしなかったわ。
とっくに別れていたでしょ。」


うらやましい・・・ちょっと悔しい。
できれば、「愛?愛してるとか関係ないわよ。夫婦なんてそんなものよ」
と答えてくれたほうが 慰められたかもしれない^^;
だけど・・・愛してるから一緒にいる・・・とても羨ましいなぁ。

魔法の言葉3

今日は、お天気も良くて 気温も高くて
コロナウイルスの感染者の数も減りつつあって・・か
朝からブログをたくさん 書いちゃってる。洗濯しなくていいのかぁ!


さて、魔法の言葉3


「あの子の我儘を許してやってね」


そんなこんなで結婚したお相手は、オールドファッションな家族。
100年以上も続く老舗の次男。上から目線でものを言うこの人(=主人)、
我が道を行く、俺について来い!タイプの男性。家族も
良くも悪くも明治時代からストップしてる?と思える考えかただった。
私の性格と体質か・・・珍しい・・変わってることに興味があったのと
古い考えも嫌いじゃなかったから・・か? 結婚した。はずみ?


そこから・・・ずっとずっと 葛藤の日々だった。
価値観の相違 話しても話しても平行線。 なぜなんだろう・・・
なぜうまくいかないんだろう・・・なぜうまく伝わらないんだろう・・・
辛い・・と思うことも数えきれないほどあったなぁ。答えがでない。


そんな中、絶対的に主人の味方と思われた姑が 亡くなる数か月前に
ぽつりと
「昔、占ってもらったら 私は、85歳で亡くなるらしいから、
あと、数年、お世話になるけれど よろしくね。
あの子の我儘を許してやってね」と 言われた。


「あの子の我儘を許してやってね」 たったこれだけの言葉なのに
お母さんもあの人(私の主人)のこと、「わがまま」って思ってたんだ^^
と救われた気がした。


それからいまも・・・特になにが変わったわけじゃないけれど
「あの子」が理不尽や意味不明なことを言ったりしたりするとき
「あの子の我儘を許してやってね」の言葉で癒される。
許してやろうじゃないか^^と心の中で、上から目線。
お母さんもそう言ってたもん^^ってね。
もちろん、「あの子」には、お母さんが少し、私の味方だったことは秘密にしてる。
「あの子」は、お母さんっこ だから 認めたくないだろうから^^ 


そして・・時代が・・世間も私の後押ししてくれる。
 世間がパワハラやセクハラなどなど言うようになって
「わたし、間違ってなかったんだ!」と思えるようになった。